第三話 予報外れのラブソング

LOVE LETTERS

第三話 予報外れのラブソング作・カツセマサヒコ

「ポストマンはさあ、さくらんぼを口の中で結ぶこと、できます?」
富山健は、少し黒ずんださくらんぼを口に放りながら言った。
私はさくらんぼの「あの部分」は「茎」と呼ぶのか「ヘタ」と呼ぶのか「柄」と呼ぶのか、どれが正解かを考えていた。もしも富山健がさくらんぼの話題を手紙に書くことになったら、きっと「茎」か「ヘタ」か「柄」についても触れなければならない。そのときに彼をきちんと正解まで導けるのか、性懲りもなく不安になっていた。
ターミナル駅から直結しているファッションビル内のカフェは、日曜の昼下がりということもあり、女性客で溢れ返っていた。高い笑い声に軽快に手を叩く音、四方で鳴り響くシャッター音。薄いピンクや水色、ラベンターの色をした店内の装飾が、女性をより女性的に描いている。
富山健が何故このカフェを選んだのか最初はわからなかったが、今、目の前でパンケーキを美味しそうに食べているところを見ると、その理由は自ずと明らかだった。
「甘いものが好きなんすよ。将来、糖尿病が心配なくらいで」
心配事など何ひとつなさそうな笑顔で言われても、説得力は何処にもなかった。
そして事実、彼は心配事など何ひとつないようだった。
「サプライズで新郎から新婦への手紙なんて、絶対に喜んでくれると思うんだよなあ」
幸せの絶頂にいる男から女への、ラブレター。
その執筆補助業務が、今回の私の仕事だった。
富山健がラブレターの執筆・受け渡し代行業者「ラブレターズ・ポストマン」に手紙の執筆補助を依頼したのは、明日に迫った結婚披露宴にて、新郎である富山健から新婦に向けて朗読する手紙を完成させるためだった。これまで手紙など碌に書いたことがなかった富山健は、「ラブレター 定型文」とインターネット検索を始めて、さまざまなワードを試すうちに「ラブレターズ・ポストマン」のサイトへ辿りついたという。
「でも、本当に来てくれるとは思わなかったすよ。しかも、わざわざカフェまで」
「ええ、少し入りづらかったですが、これも依頼主のためですので」
「『郵便屋さん』っていうか、執事みたいすね」
富山健は、生クリームを付けた口元を大きく動かして笑う。その快活さを見る限り、恐らくは嘘をつくのが苦手で、隠し事も得意ではないタイプだろう。そして、それ故に惹かれる人が多いことも容易に想像がついた。
「で、どのような手紙を書くか、お決まりでしょうか?」
改めて本題を切り出すと、依頼主は大きな目を更に大きく開けて、きょとんとこちらを見つめた。何か場違いな発言をしてしまったかと、こちらが不安になった。
「何か?」
「あ、いや」
急にバツが悪そうな顔をしながら、声のボリュームを絞って小動物のようになった男が言う。
「ポストマンが書いてくれるのかなって、思ってた」
「なるほど」今日はこのパターンか。という言葉が出かけて、慌ててアールグレイティーと一緒に飲み干す。
「世の中には『言葉』への執着を持たない人間もいる」
そう話したのは、ラブレターズ・ポストマンの社長であり、かつてトップ営業マンだったアダムだ。
「私たちは言葉を扱う仕事をしている。だから発言のひとつひとつ、書く言葉のひとつひとつに誠意と正しさを込める必要がある。しかし、世の中には言葉自体に無頓着な人もいる。そうした依頼主に当たった際には、十分に注意しなければならない。想うだけでは気持ちは伝わらないし、正しいだけでも想いは伝わらないからだ。私たちは、常に誠意と正しさの両輪を意識して、依頼主の心情を言語化する必要がある」
誠意と、正しさ。
アダムの言葉を反芻した後、入社時から擦り切れるほど読んだポストマンのマニュアルを思い出し、目の前にいる“言葉に無頓着な依頼主”の気持ちを吸い上げるため、再び対話を始めた。
「じゃあ、今からいくつか質問をするので、それに答えてみてください」
「お、いいねえ。質問に答えるのは得意っす」
質問への回答に、得意も不得意もあるのだろうか。少し疑問が残る。
「まず、富山さんと婚約者の真理恵さんが出会ったきっかけを教えてください」
「なるほど、定番のやつっすね」
氷の溶けたアイスティーを飲み干すと、富山健は今日何度目かわからない笑顔を浮かべた。
富山健と井上真理恵の出会いは、運命的なもののように思えた。
就職活動が本格化した大学3年の冬。とある企業の採用面接を受けたところ、二人はグループワークで同じチームとなり、その場で意気投合した。それだけならよくあることだが、さらに二人は同日午後、別の企業の採用面接でも同じグループになった。
この偶然はすごいと大袈裟なほどにはしゃいだが、その場ではとくに連絡先も交換せずに解散した。しかし翌日、井上真理恵が友人との飲みの場に向かう途中で、たまたま落ちていた財布を拾った。中を見てみると、昨日2度も会った男の顔が免許証に映っていた。慌ててフェイスブックで名前を検索し、その場で受け渡しの約束をしたふたりは、1時間後には人生3度目の再会を果たしたのだった。
「そんなことって、あります?」
リクルートスーツに身を包み、個性を極力感じさせない格好でいたふたりだが、こうして三度再会したことに、お互い運命を感じざるを得なかった。そこからすぐに付き合うことになり、この度、とうとう結婚まで至ったのだという。
「あれを運命と呼ばなかったら、ほかに呼び名がないですよ」
この仕事を始めて10数年。さまざまな恋の始まりを聞いてきたが、富山健の話すエピソードは確かに劇的に思えた。お世辞を一切含めず、「それはすごいですね」と返したら、「すごいってもんじゃないでしょ」と大袈裟なリアクションを付けて反論された。
「そこから何年付き合って、結婚に至るのですか?」
――運命は、長続きしない。そう言ったのも、アダムだった。閃光のように煌めく恋の始まりは、あまりに美しく、永遠を錯覚させる。でもそれは初期衝動にすぎず、現実は徐々に火を萎ませ、本来の姿を映し出す。
「運命を実感しているうちに結婚するのも良いですし、運命に惑わされないようになってから結婚するのも悪くありません。どちらがいいという結論ではなく、ただそういうものだと認識しておくことが大切なのです」と、アダムはよく説いていた。
「えっと、付き合ってから5年かな? 同棲してからは2年っす」
5年という月日は、お互いを知るには十分な時間のように思えた。この二人はきっと「若さ」や「きっかけ」といった甘い勢いに頼らずとも、お互いを想い合える関係を築いてきたのだろう。それでいて、未だに彼女を喜ばせたいと思える富山健の人間的魅力は素晴らしいものと思えた。
「では、長く付き合っていて、結婚しようと思ったきっかけは?」
「ああ、それ、聞いちゃいますか?」
「ええ、是非、聞かせてください」
「これがまた、いい話なんですよ」
恋に、盲目的に酔っている。それが何故か、こちらまで心地よくさせた。
「それなら、なおさら是非」
穏やかに、でも冷静気味に返事をすると、富山健は少し姿勢を正した後、映画のタイトルを読み上げるように言った。
「雨の日に、彼女が待っていたんです」
「家に帰ろうと思って駅を出たら、雨が降っていたんです。その日は晴れ予報だったはずなのに、天気雨で」
昔、「天気予報にまで裏切られたら何を信じていいかわからない」と、好きだった女性に言われたことを思い出した。あのときも確か、天気雨だった。
「傘はないし、駅から家まで距離があるので、バスに乗ったんですけど」
「それで?」
「バス停を下りたら、連絡もしていないのに、彼女が傘を持って待っていたんです」
「結婚」という大きなライフイベントを迎えるきっかけにしては、いささか拍子抜けする内容ではあった。でも、富山健は、それがまるで素晴らしい奇跡であるかのように目を輝かして言った。
私は思わず、遊び心で否定を試みる。
「富山さんの帰り時間がある程度想定できたから、ではないんですか?」
少しムっとした様子で、必死の反論が返ってくる。
「でも、バス停の前に立って10分もせずに、僕が降りてきたらしいんですよ」
「普段から規則正しい帰り時間だから、とか?」
「でも、折りたたみ傘を持っていかなかったのも、知ってたんですよ?」
「それは、同じ家にいれば、わかりそうな気もしますが」
「いやいやいや、あのね、ポストマン」
痺れを切らしたのは依頼主だった。「わかってないなあ」とでも言いそうな顔をしていた。
「わかってないなあ」
やはり言われた。
もしかすると富山健は、こうした“小さな偶然”や、“ある程度用意された奇跡”を、大いなる運命と捉えて“幸福な勘違い”を続けていける人間なのかもしれない。
「この人しかいない」「ふたりだからイイ」。そう思うことはあっても、生涯思い続けることは困難だ。茶化しつつ話を聞いていたけれど、この依頼主は本当に信頼される人物だと思ったし、好感度は上がるばかりだった。
「僕はこう、カッコいい文章が書きたいんですよ。作家みたいなやつ。ポストマンなんでしょ? 書けるでしょうよ」
「手紙を全文書いてほしい」というオーダーを先ほどから拒否しているのは、富山健という人間は、乏しい語彙力でも自分の言葉で伝えたほうが、相手の心のより深くまで気持ちを届けることができるタイプだと思ったからだ。
そのため、話を聞き終えたあと、「まずは書いてみてほしい」と伝えたのだが、その意見にダダをこねて、もう15分ほどが経つ。
「だって、本当に書けないですもん。無理です、無理」
「大丈夫。先ほど私に話してくださったことを、そのまま書けばいいんです」
「それが無理ですって。どんなふうに書けばいいんですか」
依頼人情報によると、富山健は26歳だと書いてあった。しかし、目の前の男が机に突っ伏している様子は、まるで10代のそれのようにも思えた。
「富山さんが結婚してから一番やりたいことは、なんでしたっけ」
「喧嘩です」
「ほら、面白いじゃないですか」
「面白い必要なんて、ないでしょ!」
頭を掻きながら依頼主が嘆く。笑いそうになるのをこらえながら、言葉を返す。
「結婚してからやりたいことが、喧嘩。なかなか聞かないエピソードですし、富山さんらしいです。作家みたいな文章は多くの人に届くかもしれませんが、結婚式ではたったひとりに刺さればいい。新婦へ送る言葉は、富山さん自身が綴るべきだと思います」
富山健は、白紙のままの手紙を見つめてしばらく黙った。まだ釈然としない様子ではあるが、徐々に受け入れつつあるようにも感じた。
「結婚したら、多少喧嘩しても、すぐに『別れる』って発想にはならないと思うんです」
今日一番小さな声で、自信なさ気に語り出す。
「だからきっと、結婚した夫婦の喧嘩は、仲直りが大前提にあるから、お互いを理解しようとしたり、お互いに理解してもらうためにしたりする喧嘩だと思います」
「ええ、そうですね」
「だから、いっぱい喧嘩して、どんどんお互いを知って、その度仲良くなりたいなあって思うんです」
もう空っぽになってしまったグラスに親指を擦りながら、富山健はこの日一番美しい心を見せた。少なくとも私には、そのように感じた。
「富山さん」
「はい」
「今お話ししたことを、是非そのまま、書いてください。できるだけ飾らずに、話し言葉のままでも大丈夫です。そのまま、気持ちだけが乗った手紙を、ゆっくり書いてみてください」
ちょっとトイレに。と言って、席を外す。富山健は、大きな背中を丸くさせて、筆を走らせ始めたようだった。
これはきっと、彼にしか書けない手紙になる。
そう思うと、心が少し躍った。
結局そこから本文が完成したのは、2時間後のことだった。
一度書き始めると夢中になったようで、富山健は「才能あるかも」といった言葉を何度も口にしながら、ああでもない、こうでもないと、推敲を重ねながら文章を綴っていった。
会計を済ませて店を出るころには日が暮れかけていて、久しく見ていなかった綺麗な夕日が世界を覆っていた。私は息を深く吸い込むと、最後の質問を富山健に投げかける。
「富山さんをそれだけ虜にする女性に興味があるのですが、井上真理恵さんは、どんな人なのでしょうか?」
何を今更?といった表情を浮かべた後、「そうっすねー」と思考する様子を見せたが、実は答えはもう決まっていたのかもしれない。
「敵わない女です」
「敵わない?」思いのほか、強い言葉が出てきて、思わず聞き返した。
「いつも僕の想像の先をいくし、僕はバカだから仕方ないんですけど、彼女は賢くて、やさしくて、僕の扱いがうまいから」
きっとお世辞ではなく、自慢でもなく、見栄でもなかった。ただ事実を並べただけのように、富山健は婚約者を絶賛してみせた。恐らく、本人を前にしても照れずにそういうことを言える人間なのだろう。
透明過ぎる心に、ちょっとした危うさすら覚えた。でも、きっとそれも、パートナーとなる井上真理恵が支えていくのではないかと思った。
「あ」
「どうしました?」
「真理恵です」
「え」
遠くで、手を振る女性がいる。
富山健は手に持っていた手紙を慌てて鞄にしまう。
「では、私はここで、失礼します」
「あ、メシとか、どうですか?」
初対面相手に夕飯まで誘えるのは、鈍感なのか、懐が深いのかわからない。
「式は、明日なのでしょう? 今夜は是非、ふたりでゆっくりと」
そう伝えると「ああそうか、それもそうすね」とあっさり引き下がり、「じゃあ、ありがとうございました」と言うなり駆け足で井上真理恵の元へと向かっていった。
14メートル先に、明日夫婦になる二人が見える。
そこから先の道は、どこまでも続いているような気がした。